母国に貢献できる人材となるべく~伊関之雄

「ダンスダンスレボリューション知っているよね?」(ルームメイトのアメリカ人)
「もちろん知っているよ。」(私)
「だよね。今パソコンゲームをやっているんだけど、日本人は全員うまいんでしょ」(ルームメイトのアメリカ人)
「そうだね・・・(そんなわけないでしょ)」

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卒業して7年−熟成されるUWCの経験・卒業生としての課題〜藤田華子

UWCの経験がキャリアパスを大きく変えた

昔から、挑戦してみたい!と思ったら、周りがどんなに反対してもチャレンジしてしまう性格だった。UWCは、両親の猛反対の中でのチャレンジだった。思いが募ると行動に移すその性格は今も変わらず、金融業界から医学の道へ、社会人から学生へと舞い戻った。人生をかけてやりたいと思える仕事を持ちたい、UWCの2年間で得た経験と素晴らしい教育を社会に還元しなければという使命感、そんな思いがクロスしたのが医療という金融とは似ても似つかない世界だった。目指すは、国際協力師。助かるべき子供たちの命を少しでも助けることのできる医師。少し遠回りをしたが今やっとスタート地点に立てた気がする。UWCで知った世界の貧困、自分は変わることができるというUWCの経験で得た感覚が、私のキャリアパスを大きく変えた。さまざまな2年間の経験の「点」が、「線」になりつつある。

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ブラジルで習った小さな事〜杉原翔(PC06-08)

私はピアソンカレッジ卒業をした年の2008年10月、行くはずだった大学から休学許可を得、日本からブラジルに飛んだ。ベタだが教科書には記載されていなかったギャップを埋めに旅立った気がする。南アメリカに対するイラショナルな憧れも昔から持っていた。IB試験終了後の書きすぎた手のヒリヒリ感もまだ鮮明に思い出せたため、大学に行って勉学に励む気がしなかったのもあった。
そんな荷物と一緒に飛行機4便を乗り継ぎ、30時間ほど使用した破格に適した内容だったフライトは、初夏のサンパウロに着いた。2週間ほど前よりポルトガル語が話せると言う友達のペルー人からレッスンを携帯メールで受けていたくらいの私は、空港バスのチケットを買うだけでもかなり緊張した。そんな調子で自分がポルトガル語どころか下手なスペイン語を話している事に気づくには日数を要した。
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四半世紀過ぎ 進化し続ける体験〜乗松聡子(ピース・フィロソフィー・センター代表)

 私はカナダ・バンクーバーに住んでいる。ピアソンカレッジには日帰りできる距離にいる、幸運な卒業生の一人と言えるであろう。先日カレッジに行って日本の奨学生たちにも会う機会を得て、驚いたことがある。現在カレッジに在籍している学生たちは、自分が卒業した後に生まれた若者たちだったのだ。カレッジキャンパスにいる自分の感覚は1984年当時そのままなので、不思議だった。あの頃と比べ、カレッジの外観はいくつか建物が増えた以外にはほとんど変わらない。今でもカレッジに足を踏み入れるたびに錯覚に陥る。

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直接対話するということ〜山本ゆうじ(秋桜舎)

中国での小さな出会い

2006年の10月ごろ、私は中国の桂林を観光で訪れた。そこで感じたのは、知らず知らずのうちに日本のマスメディアで「中国に対する負の思いこみ」が強められていた、ということである。私は中国について最低限のことは知っているつもりだ。ごく簡単な中国語の知識はあり、中国の古い小説は翻訳でいろいろと読んだ。それまでUWCやその後のアメリカへの留学、さらに各国の旅行中に中国人、中国系の人とは会う機会はあったし、ずいぶん話もした。だが彼らは留学生やアメリカ系中国人であり、出会った場所は欧米の国々、そして会話は英語でだった。言い換えれば、「英語が話せる中国人、中国系の人」としか会う機会がなかった。 Read more

多様性の同化 〜小林恵理子(リリーフ・インターナショナル)

中学に入った頃からとにかく外国に出たかった。異文化に惹かれ、高校に進学した頃からは特に発展途上国の人々に触れたかった。「違い」や「他者」に対して自然と魅力を感じる人と感じない人がいると思うが、私は前者だった。UWCに行く人はおそらく皆そうだろう。異なる価値観や人生経験をもつ人たちに出会うことが、十代の葛藤の中で生じる(実存主義的な)疑問の答をさがす助けになるに違いないと漠然と考えていた。
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