Raode Wadi〜吉田千紘(MC07−09)

あの子供たちの目の輝き- あれこそが、”生きている”ということだと思った。

Raode Wadi….MUWCIの学校のすぐ近くのスラム。カースト制度にも入らない、いわゆる不可触民が、周りの農村のゴミ拾いをして生計を立てていた。服装を見ただけで周りの村人との違いがわかる。青空の下のだだっ広い野原に、テントを張り、ガラクタに紛れて生活していた。

そこの村長が私たちに英語を教えてほしいことを知り、MUWCIの有志7人でそこの子供たちに英語を教えに行くことになった。

そこで待ち構えていたことを、誰も想像しなかった。最初に行ったとき、私たちは子供たちに砂を投げられ、シャツを引っ張り下ろされ、散々だった。英語- そんな場合ではない。基本的な対話の土台すら設けることができない。子供たちはお互いを殴り、蹴り…私は初めて人間の本質を疑った。1歳に満たない赤ん坊が、泣かない。優しさをもって接したら、泥という形で帰ってくる。

しかし、私たちは鈍感にも諦めず通い続けた。子供たちの騒ぎ方に苛立ち、泣きながらMUWCIに戻ったこともあった。でも…あの子供たちが英語を学ばなければならない、と誰が言ったのか。私たちがそこにいる必要はどこにもない。彼らのために何かする-この生ぬるい錯覚から、ふと目を覚ました気持ちだった。

この認識と共に、こんな近くに、こんなにも違う世界が2つ存在することに違和感を覚えた。MUWCIという理想を追う、異文化理解の場。Raode wadiという、その野原の世界しか知らない子供たちが戯れる空間。この2つの世界に、橋を架けることはできないのか。

ある日、子供たちに自分たちの家族や国の写真を見せた。みんな興味深々によって来る。マラティ語でいろいろと聞かれた。彼らはマラティ語で聞いてきて、私たちは英語で答えた。彼らは、着物の写真を見て、目を輝かせ、クリスマスツリーの写真を見て笑った…これこそが、繋がることだと思った。英語を無理に教えようとしても、会話したいという気持ちがなければ意味がない。そして、私たちも彼らと話したいと思うなら、マラティ語を学ばなければならない。

今、大学に通う中、ふとRaode Wadiの子たちのことを思い出す。彼らの目の輝き、笑い、生き生きとした表情、そして強さ。私たちのやったことは、それぞれの世界で決して接することのなかった人々を一つに繋げただけでも、意味のあることだったと思う。そこから生まれたあの特別な空間の思い出の鮮やかさは、薄れることはないと思う。