マイナス×マイナス=プラス〜古川知志雄(LPC06-08)

名古屋を飛び立ちUWCへ
充実していた日本の高校生活を後にしUWCへ留学したのは、僕にとって人生の分水嶺だった。 UWCに行く前の僕は、才能なかれとも努力で負けないことを自分のモットーとしていた。部活の長距離走では、大会で勝てず悔しい思いをしつつも、授業前は自主練、家に帰ってからは筋トレと4年間必死に練習をした。UWCに行きたいと考えてからは、片道40分の通学時間を使ってMDで英会話を聞きつづけた。選考の日、経団連会館のトイレで「おっしゃ!」と気合いを入れているところを職員の方に見つかって恥ずかしい思いをしたのはよい思い出である。家族や友達ほど器用でなく引け目を感じることも多かったが、UWCという目標が僕をいつも励ましてくれていた。 続きを読む

ただ、UWCに来てからは困難と挫折の連続だった。楽しい思い出も多いが、辛い思い出も本当に多い。英語が分からなかったため勉強は文章を暗号解読のような気分で読まなくてはいけなかったし、才気あふれる仲間に囲まれ自分を見失うこともあった。勉強に追われ図書館に通い詰めになった上、課外活動でも致命的なミスを犯したし色々な人に迷惑をかけた。友人関係に悩むことも多かった。夜屋上で一人「カントリー・ロード」を口ずさみながら、傷だらけの心を癒す生活だった。

悩みながら成長していく仲間たちの姿に励まされて
そんな僕を元気づけてくれたのは、同じように悩みつつも、成長をしていった仲間の姿だった。日本よりも遥かに貧しく厳しく不安定な境遇から来ている友人との出会いは、僕の人生観を大きく変えていった。2年生になったとき、パレスチナ出身のニザールとエジプト出身のラミという二人の後輩が出来た。勤勉なニザールに対し、ラミは遊んでばかりで、同じアラブ人だけれど、ニザールが「敵みたい」と言うほど仲が悪かった。食堂で2人が激しい議論をするときもあった。「アメリカは中東に対して悪影響を及ぼしているから出ていくべきだ」と言うニザールにラミが野次を飛ばし、怒鳴りあいにまで発展した。

転機となったのは、イスラエルとパレスチナを隔てる国境の「壁」やテロについてニザールが国際問題について話し合うイベントでプレゼンテーションをしたことだった。ラミとの喧嘩の経験から二ザールはプレゼンテーションをしたくないと悩んだようだが、自分の意見を発信するという決心をしてプレゼンテーションに臨んだ。録画の質が悪かったり、マイクの音量が小さかったりしたため、みんなからの評判はあまりよくなかったが、意外にもラミは「自爆テロをする人々は、何も精神的に異常なんじゃない。両親を殺され、妹も連れ去られ、土地も奪われたら、誰だってどうやって生きていけばいいのか分からなくなる」と、二ザールに賛同していた。自分の意見を素直に堂々と発信するニザールの勇気が、ラミの共感を呼んだのかもしれない。その後2人は仲直りし、楽しそうに話している姿がよく見受けられた。

マイナス×マイナス=プラス
自分の中に負の要素を持っているとき、それを隠したり、逆に他人へ怒りとしてぶつけてしまいがちである。しかし、正直に向き合い、分かち合うことができれば、そこに暖かさが生まれるのかもしれない。僕の心の中から劣等感がすっと抜けていったのは、みんな辛いことを持っているけれどもそれを分かち合うことがあれば前進できる、と気づいたからである。マイナスの要素を抱きつつも、他人の弱さと向き合い×(かける)ことでプラスを生み出せる可能性を持って、堂々と生きようと思った。

UWCというプリズム
僕にとってUWCとはプリズムのような存在だ。プリズムは、普段見慣れている白い光が七色の波長の異なるきれいな要素で成り立っていることを教えてくれる。UWCは、複雑すぎるが故に平凡に見える社会や世界が、個性豊かな人々の織りなすものだと教えてくれた。自分は大きな社会を構成するささやかな要素、素朴な光の波でありたい。何事も、外観で満足することなく、深く内を考察し理解した上で、それぞれの輝きを知っていたい。他人への理解によって輝きたい。UWCに行ってから僕は、弱さや脆さも含めて、自分が大きな世界のささやかな一部であると信じている。

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香港カレッジ(2006-2008)
2008年10月現在 米ブラウン大学 在籍
香港カレッジ主催日中青年会議(Sino-Japan Youth Conference)のオーガナイザー
(日中青年会議は、2009年8月香港校で開催される日本人および中国人の異文化交流プログラムです。2009年1月25日締め切りで、中学生と高校生の参加者を募集しています。詳細については上記のリンクをご覧ください。)