「学ぶために学ぶ〜UWCでの教育〜」畠山澄子(アドリアティックカレッジ06−08)

この一年間の私の生活は一体なんだったのだろう。UWCでの1年を終えた今、ある意味放心状態で私は振り返っている。毎日のように朝から晩までDuinoの村を走り回った生活から離れ、のんびりとさえ感じられるような家での生活にまだ慣れきれない。そしてオンラインの友達を見つけるたびに心が弾み思わず話かけてしまう。How are you doing??


私はいつでも今を楽しもうと思って生きてきたし、常にその時与えられた環境にそれなりに満足していた。日本での高校生活も素適な友達や先生方に囲まれてとても楽しいものだった。だから日本での生活とUWCでの生活を比べて、どちらがよかったいうふうに比べようとは思わない。しかし一つはっきりしている事。それはこの一年は今までとはまるで違うものだったということだ。とにかく私が今まで経験してきた環境とはあまりに違ったのだ。そんな激動のUWC生活は驚きと発見に満ち、新鮮で、とても刺激的だった。私は戸惑う事もありながらも、むしろそんな新しい環境を心から楽しんだ。とにかく毎日がやりたい事にあふれ、時には切り捨てなければならない事が出てくるのが惜しいと思うくらいだった。

そんな環境の中で学んだ事は数え切れないほどあるし、本当の友達とよべる人たちとの深い友情も築き上げる事ができた。Non-Academicの醍醐味とも言えるInitiatives、いわゆるボランティアや社会奉仕活動、あるいは単なる有志の活動などもUWCで私が200%楽しんだ事の一つである。それらについて書きたいのは山々である。しかし、それと同時に私が在校生として今一番伝えたいのはUWCの教育システムについてである。日本とUWCの教育システムは何が違い、そしてなぜ私はUWCの教育を尊重するのか。おそらくそれが今の在校生と言う立場である私にしか伝えられない事だと思う。

ご存知の人も多いかと思うがUWCはIB(International Baccalaureate) というものに沿って授業がすすめられている。生徒は言語、数学、文系、理系、芸術などに分かれた科目群の中から6あるいは7科目を選び二年間かけてそれらの科目を勉強する。私の選択した7科目は日本語、英語、歴史、数学、生物、世界文化(World Cultures)とイタリア語である。これらの科目は一見日本と変わりのないように思えるが、それぞれの科目の教え方は日本とまったく異なっている。私はこの一年を通して、UWCの教育は知識をどのように獲得するか、そしてそれをどのように人に伝えるかを重視しているのではないかと感じた。どんな科目でもResearchを要求される事が多く、また文系の科目では特にEssayPresentationなどの課題が多く出される。このような形態に当初私は非常に戸惑った。受身型の教育しか受けてこなかった私は突然どーんと幅の広いテーマで課題を出されてもどうしてよいのかわからなかったのだ。Researchといわれてもどのように調べればよいのかわからない。Essayと言われ書こうとするが気がつくと本の写しになってしまっている自分の“Essay”に途方にくれるばかりだった。Presentationはもっとひどく最初の頃、私のプレゼンは全く筋道が立っておらず、結局何が言いたいのだと自分で突っ込みたくなるようなものであった。

しかし、一年経ち振り返ると、このような教育を受けられて私は本当に恵まれていると思うようになった。知識とはただ単に与えられるものではない。そこここに落ちていて拾えばいいというものでもない。知識を自分のものにする。そしてそれをわかりやすく論理的に人に伝え、人を納得させる力。あるいは知識を用いて人を説得する力。それこそが私たちがこの先、生きて行くうえで必要な力だと思う。そして、このように自主的にものにした知識は受身的に獲得した知識よりもずっと深く長く自分の中に残る。今でも私はこの一年でやったたくさんの課題の事を鮮明に思い出すことができる。これこそが勉強すると言う事なのだなぁと思う。

もちろんいまだに私は発展途上ではあるが、このような力を確実に身に付けている。勉強というものに対しての姿勢を変え、勉強を一回りも二回りも魅力のあるものにしてくれたUWCには本当に感謝している。そしてまた三ヵ月後の8月、UWCにもどって新たな仲間と新しい一年を始められる事が嬉しくてたまらない。この夏、私はウガンダへボランティアに行く。現地の小学校で学ぶ楽しさを伝えたい。そして将来も教育に関わる仕事ができたらいいなと思っている。