卒業して7年−熟成されるUWCの経験・卒業生としての課題〜藤田華子

UWCの経験がキャリアパスを大きく変えた

昔から、挑戦してみたい!と思ったら、周りがどんなに反対してもチャレンジしてしまう性格だった。UWCは、両親の猛反対の中でのチャレンジだった。思いが募ると行動に移すその性格は今も変わらず、金融業界から医学の道へ、社会人から学生へと舞い戻った。人生をかけてやりたいと思える仕事を持ちたい、UWCの2年間で得た経験と素晴らしい教育を社会に還元しなければという使命感、そんな思いがクロスしたのが医療という金融とは似ても似つかない世界だった。目指すは、国際協力師。助かるべき子供たちの命を少しでも助けることのできる医師。少し遠回りをしたが今やっとスタート地点に立てた気がする。UWCで知った世界の貧困、自分は変わることができるというUWCの経験で得た感覚が、私のキャリアパスを大きく変えた。さまざまな2年間の経験の「点」が、「線」になりつつある。

学んだのは、必死に頑張ること。多様な文化・価値観を知り、自由に考えを表現すること

UWCの経験から学んだ事は大別して3つある。1つは、頑張れば自分は変わることができるという自信。これは、英語の習得から感じたものだ。集合時間と場所すら聞き取れなかった日々から、IB(インターナショナルバカロレア)の試験をこなすまでに成長した。必死に頑張れば何とかなるというあの感覚が、今も人生の節目節目で何かに挑戦するたびに呼び起こされ、私にエネルギーを与えてくれる。
2つめは、UWCの多様性、様々な文化の価値観である。UWCの学生である以前に、一高校生であるわれわれの集合体は、「交換留学」や「異文化交流」体験よりももっと人間臭く、高校生同士の真剣な交わりだったと思う。お邪魔します、と足を踏み入れるのではなく、覗き見をするのでもなく、派遣された生徒それぞれが能動的、主体的にUWCのカルチャーを受け継いでいくコミュニティなのだ。部屋の電気は1番最初に寝る人が消すか最後の人が消すべきか、程度の日常的なことから対日関係や貧困問題まで、仲間と話す内容は何でもありだ。些細なことと時事問題の両方を話すことで私達は絆を深めていったと思う。何より、知らない国のことをいっぱい知ることができた2年間だった。何気なくさりげなく、知らないことや知らない人を受け入れられる柔軟性の大切さは、卒業して年月が経てば経つほど感じている。
3つめは、IBを基軸とする素晴らしい教育だ。日本の高校にいたら到底選ぶことのできない経済や語学の多種多様なクラス。自ら計画を立てて行う物理の実験の数々。本もたくさん読んだ。ひっかけるテストではなく、長時間だけれど素直に勉強すれば結果のついてくるテスト、自分の考えを自由に表現できる機会の多い教育は心地よかった。残念ながら、日本の教育はIBやUWCとは程遠い体系だが、どのような場所でも2年間で培った学び方を自分なりにアレンジすることができるようになった。
UWCで学んだ経験つまりは「点」を、自分がこれだ!と思う道つまり「線」にする力を得た気がする。当時から心のどこかでおぼろげに考えていた貧困問題。働いて気づく自分の本当の気持ち。手に入れたかったのは富や社会的地位ではなく、やりたいことを突き進む人生だ。

卒業生の課題

帰国してから現在に至るまで、UWC卒業生会日本ネットワークの卒業生達の存在は私のなかでとても重要だ。たくさんのユニークな卒業生達が、職種、年齢、大学等を超えて、UWCという強いボンディングで集うこの会はいつも刺激的で、人生のロールモデルとなる先輩にも出会えた。今、UWC留学プログラムは財政逼迫で、奨学生の派遣先が削られていく状況にある。卒業生がすでに400人強のこの会の皆が立ち上がれば、この状況を少しでも改善できるのではと願う。もはや、行動しなくてはならない状況にある。高校生で返済義務のない奨学金を有り難く頂けた我々には、奨学金とは返済義務のないものという感覚が知らず知らずのうちに芽生えているかもしれない。何の義務もないから何もしなくていいというわけではないだろう。せめて、将来の奨学生を絶やさないように卒業生が力を結束する。今こそ卒業生が立ち上がらなくてはならないと強く思う。

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シンガポールカレッジ(2001−2003)
東洋英和女学院高等部より、2001年-03年UWCSEA(シンガポール校)に留学。国際基督教大学卒業後、証券会社に勤務。2010年4月より、医学部に編入。