ブラジルで習った小さな事〜杉原翔(PC06-08)

私はピアソンカレッジ卒業をした年の2008年10月、行くはずだった大学から休学許可を得、日本からブラジルに飛んだ。ベタだが教科書には記載されていなかったギャップを埋めに旅立った気がする。南アメリカに対するイラショナルな憧れも昔から持っていた。IB試験終了後の書きすぎた手のヒリヒリ感もまだ鮮明に思い出せたため、大学に行って勉学に励む気がしなかったのもあった。
そんな荷物と一緒に飛行機4便を乗り継ぎ、30時間ほど使用した破格に適した内容だったフライトは、初夏のサンパウロに着いた。2週間ほど前よりポルトガル語が話せると言う友達のペルー人からレッスンを携帯メールで受けていたくらいの私は、空港バスのチケットを買うだけでもかなり緊張した。そんな調子で自分がポルトガル語どころか下手なスペイン語を話している事に気づくには日数を要した。

Associacao Comunitaria Monte Azul(コミュニティー団体モンチアズール)という名のNGOで働くことになっていた。空港から3時間ほどかけて到着したサンパウロ市郊外にある私の新しい家族となったこのNGOは、初日から働かせてくれた。30年ほど前ドイツ人によって建てられたこのNGOは、放課後の小学生から高校生までを受け入れ、ブラジルの公立カリキュラムにはないスポーツ、芸術など、スラム地域を中心に教えていた。併設で保育園、リサイクリングセンター、有機栽培の畑も設備されていた。
そこに私は反抗期中の15,6歳児クラスにいきなりアシスタントとして投げ入れられ、ポルトガル語が話せないのを理由に年下の彼らにいじめられた。時差ぼけとプライドが吹っ飛ぶ初日だった。その後も保育園でのお手伝い、リサイクリング、畑仕事、週末は孤児院建設など多種多様な仕事を任せられた。
ポルトガル語習得までにかかった時間、ドイツ人のボランティア5人と共同で住んだ洗濯機のない、シャワーはほとんど冷水に近いかなり小さい野性的な家と生活に慣れるのに時間がかかった。生まれて初めて変えたオムツもちょっと嫌なくらいはっきり覚えている。しかしその中で人間の適応スピードには驚いた。到着してから1ヶ月もするとポルトガル語でバスの運転手から話しかけられ、一瞬ブラジル人となれたのは嬉しかった。生徒たちにもあまりいじめられないようになった。だがそんな甘い考えは携帯、デジカメなどを一つ一つ掏られるたびに消えていき、Gringo(外人)としての自己立場を現実から再構成する毎日だった。
ピアソンでもそんなプロセスを通ったのを覚えている。世界各国から来た頭のいい連中の中で自己Identityを創り、守るのは大変だった。でもちょっと違いがあると思う:ピアソンでの私は受動的で、自分を形成するので精一杯だった。留学なんか経験値と頭のよさをアップさせるために行ったのだろう。ブラジルでももちろんそうだったが、今回私は他人のためにも未知なる国へ来ていた。というよりそれが第一の目的だった。
そこで、15歳で新生児の母親になってしまった「親」や、栄養失調に加え虐待を受けた跡のある3歳児、下水川の横に拾ってきた材木で建てた家に住む一家族、依存してしまったコカインを買うために子供の粉ミルクを毎日市場で売り飛ばす父親などを見ていると、頭がぼぉーっとした。どちらかというとUWCの二年間を終え、ブラジルでやっと現実に戻れたのかもしれない。
ピアソンにいる間、私はブラジルで自分が世話した赤ちゃんのようにかわいがってもらっていた。あれほど都合のいい、可能性に恵まれた環境はないと思う。だが世界は逆転しやすい。するからこそ人は成長するのかもしれない。せいぜい私はブラジルで一枚一枚赤ちゃんのオムツを取り替えることでしか世界に変化をもたらすことができない自分の無力さに気付き、ちょっと落ち込んだ。ちょっと落ち込みながらも色々な技術を身につけていった。たとえそれが建設、育児、環境保護、といった色々な分野で本当に少ししか役に立たなくても、小さな変化はもたらせられる。ブラジルはそんなことをいっぱい教えてくれた。
だからこそ私は大学に行くのにいまだに多少の抵抗感はある。大学で政治だとか社会学なんか勉強して、家をリサイクルした素材から建てる技術は身につくのだろうか?政治活動をするサークルなんかにに入っても、コンパなんかにいっても、新生児の母親に赤ちゃんにコーヒーだとかチョコレートを食べさせないようにポルトガル語で説得する技術を身につけられるだろうか?机に座ったまま頭と手首の動きだけで大事な人生カロリーを3年間も燃やしながら、ブラジルで習ったことが消えていくのが怖い。
さあどうしよう。大学の教育は人間に本当に必要なものを教育しているのだろうか?少なくとも私はブラジルに滞在した8ヵ月間、大学で習得した専門分野を持ち、ちゃんとした給料をもらう、という事と、生きるために必要なものを持つ、というのは違うというのを知った。これに反論する方は多いかもしれない。大学の教育もただお金の稼ぎ方を習得するためにあるのではない。しかし、本当に3年間も費やして行って、私がしたいことに役立つのだろうか、という価値つけを予測でやるのは難しかった。
私の最大の敵はそれかもしれない。大学に進学することすら、ブラジルから帰ってきて、消費者社会の延長線にある事にしか見えない。そんな世界にはあまり入りたくないと思う。
しかし私は10月から大学に行く。大きなローンをして(笑)。やはりブラジルでの経験をどう使うかは自分次第で、弱音を吐いておきながらも、自分の価値観と決断力にそれだけ自信があるから挑発的に入学するのかもしれない。こうやって教育社会に疑問を持ちながら入学するのはいいことだと思う。UWCではそうするように教育されたとも思う。自分が間違った先入観を持っていたことに気づき、5年10年後恥ずかしい思いをするかもしれない。しかしそんなのはせいぜい小さい事だと思う。大きな変化を見たらすには、小さな間違いをいっぱいためていくしかない。それをするくらいの勇気はUWCでついた。