「自分力」〜小林りん(国連児童基金・在フィリピン事務所)

井の中の蛙、旅に出る
留学前の私ときたら、とんでもないクセ者だった、と本当にそう思う。学生運動中にバリケードの後ろで恋に落ちたという両親の血をそのまま受け継いで、多弁で、野心家で、既存の体制というものにいつも疑念を抱いていた。生徒会の役員をやりながら、クラスの皆を率いて授業をボイコットしたりする問題児だった。たいした実力もないくせに運だけはよかったから、中学も高校も入試では苦労することがなかったが、そこで調子にのってしまったのがまずかった。勉強などほとんどせず部活や遊びに没頭しているうちに、面白いくらい成績が下がっていった。「暗記だけの勉強なんてすぐに挽回できる。それよりも大切なのは今の評価制度では測れない『自分力(じぶんりょく)』を伸ばすことだ。」半ば現実逃避とも言える結論を見出して留学を決めたのは、高校1年の終わりだった。

蛙、身の程を思い知る
そんな16歳の野心は、留学直後に打ち砕かれることになる。得意だったはずの英語がとにかく通じない、わからない。「自分力」どころの騒ぎではなかったのである。状況が変わるまでに2、3カ月かかっただろうか。気が付いたら授業も会話も理解できるようになっていた。いったん自分の非力さを思い知ると、人は案外余裕がでてくるのかも知れない。知らず知らずのうちに自分にも染み付いていた杓子定規なものの見方が、ある時ふっとほぐれた気がして、そうしたら、突如としてすごい奴らに囲まれていることに気付いた。六カ国語を操るスウェーデン人や、三度の飯より数学が好きな中国人、ジャズピアノが天才的に上手いアメリカ人。自分が井の中の蛙だったことを痛いほど思い知ったが、不思議ともう悔しくはなかった。カナダの雄大な自然と美しすぎるキャンパスに抱かれて、新しくできた友達と素晴らしく楽しくてチャレンジングな日々を送りながら、自らに問い掛けた。自分が、日本の教育の枠を飛び出して伸ばそうと誓った「自分力」とは何だったのか。

十余年を経て
その問いに対する明確な答えは、残念ながら2年間の留学中に見出すことはできなかった。ただ、自分の得意なものに特化して、それにひたすら磨きをかけることの大切さは学んだつもりだ。学力でも、運動能力でも、芸術的才能でも、何でもいい。できないことをあきらめるのもまた勇気だ。日本の大学へ進んだ後、外資系投資銀行で社会人のスタートを切り、2年後に独立してベンチャー企業の経営者へ。私の「自分力」探しは続いた。大きな転機が訪れたのは、2003年——5年間勉強させてもらったビジネス界を後にして、かねてから興味のあった開発援助の分野へ飛び込んだ時である。これだ、と思った。恵まれた境遇にある自分のような人間こそが、金銭でなく社会のために働かねばという、昔からの強いつよい使命感。異なる環境や価値観に対する柔軟性、語学力、フットワークの軽さ。さまざまなものの複合物ではあるが、間違いなく自分にしかできない何かがあると、日々感じながら仕事ができる喜び。あの頃の私には漠然としか見えていなかった「自分力」の輪郭が、次第にはっきりとし始めている。

普段は意識することが少ないが、あの2年間に吸収した価値観は、自分でも気付かぬうちに静かに成長し、人生の節目節目でその存在を主張していることに気付く。改めて、チャンスを与えて下さった全ての方々に心から感謝すると同時に、やんちゃな高校生たちが今年もまた、既存の概念の枠を超えて、自由に飛び立ってくれることを祈ってやまない。

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1993年UWCピアソン・カレッジ(カナダ)、1998年東京大学経済学部卒業。モルガン・スタンレー投資銀行部、ベンチャー企業取締役などを経て、2003年に国際協力銀行へ転職。スタンフォード大学大学院にて国際教育政策学修士課程修了ののち、2006年より現職。個人ホームページはこちら