Raode Wadi〜吉田千紘(MC07−09)

あの子供たちの目の輝き- あれこそが、”生きている”ということだと思った。

Raode Wadi….MUWCIの学校のすぐ近くのスラム。カースト制度にも入らない、いわゆる不可触民が、周りの農村のゴミ拾いをして生計を立てていた。服装を見ただけで周りの村人との違いがわかる。青空の下のだだっ広い野原に、テントを張り、ガラクタに紛れて生活していた。

そこの村長が私たちに英語を教えてほしいことを知り、MUWCIの有志7人でそこの子供たちに英語を教えに行くことになった。 続きを読む »

MCに公共交通機関で辿り着く方法〜安田のぞみ(MC06−08)

MUWCIではいつも土曜日に、朝と午後の2回、プネへのバスが出ている。

バスの料金は往復で50ルピー。MUWCIから1時間半くらいの道のりだが、プネでは買い物ができるので私もよく行っていた。

最初のうちはMUWCIの生徒がよく使うスーパーにたどり着くのにも迷っていた私だが、さまよっているうちに野菜や果物を売っているマーケットを見つけたり、そのうちリキシャーを使って少し離れた所にも行けるようになったりした。

普段、課外活動以外にあまりキャンパスをおりる事がないので、プネの町を歩いて様々なものを見るのはとても楽しかった。

そんなある日、放課後に友達がプネの歯医者へ行くのに付き添いで行く事になった。平日だったので、ジープか何かで行くのかと思いきや救急車が用意されていたので驚いたのを覚えている。人が横たわれるような寝台がついただけの救急車だが、救急車で歯医者まで行った経験を持つ人はなかなかいないだろう。友達はただの虫歯だったのだが、2人で広々と救急車に乗った。 続きを読む »

ヒルの思い出〜赤藤詩織(MC04−06)

MUWCIで心に刻まれたもの。それは体にも刻まれてしまったヒルの思い出!

日本を離れてまだ間もない1年生の秋のプロジェクトウィーク。環境問題に取り組んでいるNGOの活動に参加させていただくため、5人+先生のグループで北カルナタカの森林地帯に向けて出発した。電車での10時間の後は、ミニバスで3時間。休みなく目的地を目指す。揺れながら、というよりは跳ねながら、バスは森林地帯奥地へとずんずん進んでいく。前の女の子がシートから振り落とされても止まらない。

突然視界から木々が姿を消すと、目の前にテニスコート2面ほどの小さな集落が現れた。NGOは、この村にバイオエネルギーのパイプを通すことを主な活動にしていたのだが、私が勉強になったのは、むしろこの村が昔から実践していた「エコシステム」の方だった。 続きを読む »

ガンジス河〜三好(野中)あさぎ(MC01−03)

「インドに行って、何が一番印象的であったか。」

シンプルではあるが、はぐらかさずに答えるのには時間が必要な質問である。かれこれ、友人、先輩、後輩、就職の際の面接官など、様々な人から投げかけられた質問に、私はいつも、次の答えを返している。

「すべてが同時に存在し得る、ということを、見せてくれたところです。」

それはどういうことか、と必ず皆聞く、少なくとも、そのような表情を浮かべる。確かに、世の中の真理に関する命題としてはあまりにも陳腐であり、当然のことのように思える。しかし、高校3年生の私にとって、友人たちと訪れたヒンズー教徒の聖地、ベナラスで目の当たりにした光景には、「珍しいものをみたことによる感動」というよりさらに一歩進んで、自分の考え方の軸を与えてくれる力があった。18歳当時、ガンジス河を訪れた感想を書きとどめておいたものを抜粋してみる。 続きを読む »

2001年1月26日〜岡本真祐子(MC00−02)

それはインドの独立記念日、MUWCIでも青空の下式典を終え、いつもと同じ休日が訪れようとしていた朝のことだった。正確にはいつもと少し違う休日、近く開催される演劇週間(Theatre Week)に向けて、先生も生徒も、準備や練習に励んでいた祝日であった。

2001年1月26日朝8時46分、インド西部グジャラート地方において、マグニチュード7.9の超大型地震発生。死者は、、、たくさん。

このニュースが校内を駆け巡ったのは、その日の昼頃のことであった。

創立4年目のMUWCIはまだ、情報網などあってないような状況で、テレビはなかったし、インターネットはしょっちゅう止まるし、携帯なんて想像もできなかった。郊外の丘の上ゆえ、新聞が届くのも朝一ではなかったような・・・ある先生曰く「海の真ん中を渡ってゆく船に、200人で乗り込んでいるようなもの」そのような、人と人とのコミュニケーションをすべてとして成り立っているような場所だったのである。 続きを読む »

ピアスの穴〜ヴネ(田中)時子(MC99−01)

マヒンドラで過ごした2年間は、70以上の国から集まった他の奨学生との出会いであるとともに、インドという国との出会いでもあったと思う。高校生の時、インドに留学していたというとよく驚かれるが、単身留学だったと言うと、もっと驚かれて必ずといって良いほどその理由を聞かれる。きっと、当時私を送り出してくれた日本の友達や家族も、この子は変わった子だと思うとともに、少なからず心配していたことだろう。

私が初めてインドに旅立ったのは、かれこれ10年以上前の話になり、その後も色々な場所に住んできたのだが、私のインド留学の話は、友人たちに特に強い印象を残しているようだ。その中で、今でもよく話に出るのは、私が日本に一時帰国したときのこと。私がピアスの穴をあけているのに驚いただけではなく、その中に木の枝みたいなのが入っていたという話だ。

続きを読む »

マザーテレサの家〜山田理禾(MC98−00)

「高校でインドに留学する!ヨーロッパやアメリカには興味がない、インドに行きたい!」

私がそう思ったのは、中学生のときに母親とインド旅行に行ったときからだった。

母親と初めて訪れたインドには、日本では決して見ることのできない全く未知の光景が広がっていた。荷物を頭の上に載せて運ぶのが当たり前、道路の真ん中に牛が座っているのが当たり前、食事は手で食べるのが当たり前、女性はサリー(インドの伝統的な服)を着るのが当たり前・・・・近代化されすぎている日本とは違う一昔前にタイムスリップしたような世界、ゆったりとした時間が流れている世界だった。中学生の私は好奇心ひとつでそんな未知の世界に留学することを希望したのだった。運命的というか、偶然というか・・・

そんなことを思い続けていた矢先、ちょうど私がUWCの留学試験を受験した98年に経団連がインドに派遣する初の日本人奨学生を募集しており、幸運なことに私がその奨学生として選出されたのだった。 続きを読む »

アトランティック・カレッジより近況報告〜藤井優歩(イギリス校08-10)

2009年9月10日、始業式より9日も遅れて日本人生徒7人がそろい、ようやくにぎやかなキャンパスとなった。今年は英国政府の入国審査厳格化に伴い、日本人2人を含む約30人がビザを取得できずに足止めされた。一学期が終わろうとしている今も、新入生がちらほらやってくるという具合である。私が昨年体験した盛大な歓迎や親切な導入もなく授業へ急がされるのは非常に残念な事であるが、来年の新入生が難なくビザ取得できるよう願うばかりである。
続きを読む »

世界を知った2年間〜水村紗英

「なぜなのだろう。」留学中私が常に抱いていたのは、この疑問だった。なぜ、国家間の対立はなくならないのだろう。なぜ、民族同士で殺し合いをしなければならないのだろう。なぜ、富める者と貧しい者の間には大きな格差ができてしまうのだろう…。UWCでの生活を通して、私は今まで見ることのなかった現状を知り、疑問を持ったり、悩んだり、憤りを感じたりした。UWCは、私がどのように生きるべきかを熟考する時間を与えてくれたように思う。

UWCに行くまで、私は「自分のことで精一杯」な人生を送ってきた。全てを完璧にこなそうとし、勉強に力を注ぎ、英語力を磨くことに必死だった。UWCの生活を始めた当初も私はまだそんな自分のままであった。英語が分からない、授業についていけないといった問題に直面し、それを打開することで精一杯だったのだ。
続きを読む »

マイナス×マイナス=プラス〜古川知志雄(LPC06-08)

名古屋を飛び立ちUWCへ
充実していた日本の高校生活を後にしUWCへ留学したのは、僕にとって人生の分水嶺だった。 UWCに行く前の僕は、才能なかれとも努力で負けないことを自分のモットーとしていた。部活の長距離走では、大会で勝てず悔しい思いをしつつも、授業前は自主練、家に帰ってからは筋トレと4年間必死に練習をした。UWCに行きたいと考えてからは、片道40分の通学時間を使ってMDで英会話を聞きつづけた。選考の日、経団連会館のトイレで「おっしゃ!」と気合いを入れているところを職員の方に見つかって恥ずかしい思いをしたのはよい思い出である。家族や友達ほど器用でなく引け目を感じることも多かったが、UWCという目標が僕をいつも励ましてくれていた。  続きを読む »

1/212